本研究は、戦後日本の社会通信教育の変容過程と機能について、教育者と学習者間の〈へだたり〉に注目することで、文字のコミュニケーションによる学びのあり方を検討することを目的としたものであった。平成27年度は、特に終焉期を中心に研究を進めた。 社会が成熟し差異やコードを消費する価値多元的社会における社会通信教育は、文脈依存的で身体感覚に根ざした言わば「ローカルな知」(趣味、環境問題、地域づくり)をあらゆる人びとへ提供することで、地域活動を通しての自己の再構築を志向している。しかし、この時代はテクノロジーの成熟や主体の複数化が叫ばれ、〈へだたり〉の終焉が語られる時代でもある。そこでは無数の学習方法や機会が存在するなかで、文字によるコミュニケーションの教育的意義が薄れ、社会通信教育が自身の存在意義を見出せずにいる様子が浮き彫りとなった。 この事態を象徴するかのように、〈へだたり〉の終焉期における学びは、もはや具体例の提示が困難なほどに三要素が互いに乖離し、主体の統一的表現を断念しているように見える。そこでは自己を表現する私(真正性の次元)、正しく書く私(客観性の次元)、他者に応答する私(社会性の次元)の三者へと私が乖離していくのに応じて、主体も複数化していく現象が考察された。 以上の、社会通信教育における知と主体との関係において捉えた〈へだたり〉の変遷は、社会構造の変容による「読み書きという教育的実践をする私」を支えていた生活世界の外部の消失と、近代社会に特有の反復的な自己像(書く自己と書かれる自己の同一性)の失効が関係していると考えられる。それと同時に、この〈へだたり〉の変遷は、文字言語というメディアが、個人と世界の間を不透明にしか媒介し得ないことを再確認させてくれる契機でもあることが明らかとなった。
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