本研究は、20世紀前半のイタリアを代表する三人の思想家、すなわち、クローチェ、グラムシ、ゴベッティの三人が、「近代の完成」を主張するファシズムに対して、どのように異なる「近代」概念を提出し、それに依ってそれぞれの社会構想を基礎付けようとしたのかを研究するものであった。 まずクローチェに関しては、1)クローチェによるヘゲモニーの語の使用法が、グラムシに先立つ用法のもっとも洗練された形態であることが確認された。現在この研究は英語論文にまとめている。また、2)クローチェによる現状における国家の批判は、とくに近代イタリアの歴史叙述を通じて導出されていることがあらためて確認された。近年、歴史叙述の政治的意味の研究が英語圏で注目を集めているため、この論点をまとめた論文はトップジャーナルに投稿する予定である。 グラムシに関しては、数本の論文を刊行(あるいはforthcoming)にすることができた。1)グラムシによると、南部人が「自然」的に劣等であるという考え方が科学的に正当化された結果、イタリアの近代国家形成において南部大衆を排除しあるいは劣位に置く考え方もまた正当化された。この論点は、拙稿「「自然」であるという表象」姜尚中・齋藤純一編『逆光の政治哲学』法律文化社、2016年、にまとめられた。2)グラムシにおいて、近代国家の分析と未来社会の構想が結びついていないという論点については、拙稿(査読付き)「グラムシにおける二つの倫理国家概念」『社会思想史研究』40号、2016年近刊、において明らかにした。さらに英語の共著二冊が本年度と来年度に刊行予定である。 ゴベッティに関しては、二次文献が予想以上に膨大であり、文献の読解に終始している段階である。今後、南部問題論や自由主義論に絞った形で、彼の「近代」論を論稿にまとめる予定である。
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