昭和60年度は、本研究課題の第3年度(最終年度)であるので、前年度に引き続き史資料の採訪につとめるとともに、これまで採訪し得た史資料の整理と研究の総括に力をそそいだ。 本研究の目的は、紀伊半島を総合的に把握して、その日本史上に果たした役割を明確に位置付けることにあるが、まず考古学的時代については、本年度は熊野地方・志摩地方を重点として調査を進め、その文化相が東日本と西日本の接触地帯であることを明らかにした。従来研究の進んでいない地帯であっただけに、巨石器時代から古墳時代に至るまで、紀伊半島の考古学的考察を概括することが可能になった意義は大きい。紀伊半島は古来の宗教的霊地に富んでいるが、諸宗教の伝播については、由良興国寺文書・新宮宗応寺文書などの採訪を加えて、紀伊半島全域の仏教諸派伝播の歴史的状況を把握することができた。本年度の近世史上調査で特記すべきことは、紀州藩と対島藩の関係である。この問題は全く知られていなかったので、研究計画にも入っていなかったが、対島・宗家文庫の江戸前期の尨大な記録の中に多数の関係記事が散見しているのを見出した。そのため急遽採訪を重ねて写真撮影を行った。目下整理中であるが、紀州藩の特異な文化的位相を示す学界未知の史料として研究成果が期待される。民俗や建築の分野でも補充調査や精密調査を加え、ことに建築については紀伊半島全域の概括的調査をほぼ完了した。ただ、近世史上の諸問題を扱う分野では、採訪し得た多量の古文書の整理と読解に多くの時間を要し、個別的にも概括的にも、結論を導き出すことは容易ではない。3年間という限られた期間では不充分であることを痛感している。もちろんこの期間で研究を終了するつもりではなく、今後少なくも10年の研究期間を予定しているので、その成果を逐次発表して行くつもりである。
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