印度佛教は宗教としての基本的存様を出家に置くが、やがて在家佛教者の増大と理想国を現実に建設する皇帝如来説などが唱えられ、出家佛教から在家佛教に発展して行った。特に中国では社会内存在としての人間観が強く働き在家佛教の立場は助長された。その展開根拠となったのは、在家信者が一日一夜授持するだけで贖罪を果し、出家者と同じ功徳を得るとされた八関斎であった。本研究によって、その経緯が明きらかになった。中国南北朝期にこの八関斎が流行し、やがて菩薩戒を梁武帝が制する迄至る道筋を見出し、中国に於ける大乗佛教展開の原点を明きらかにする事が出来た。これは道教の思想的深化にも影響を与え、陸修静が八関斎を勧めている事なども判明した。又、煩悩を生きる在家信者の救済は真理を自覚的に生きる事がなくてはならず、煩悩即菩薩が主張されねばならないが、その姿は中国同様の社会構造を持つ高麗にも見られ、大乗佛教成立の根拠として八関斎が機能している事が判明した。又、これらは人間観の変容を示し、高僧伝を始めとする層伝成立を促したが、梁朝三僧伝を比較することに依って慧〓の重層伝が定型化する過程を検証した。又、名層伝の抗者宝唱の伝を検討した結果、諸経、わけても抄経の集大成を通して、主体的な佛教の把握と自己の佛性に拠って立つ姿を見出し得た。以上から、出家・在家の形態を繋ぐ八関斎の重要性と八関斎を中心とする中国大乗佛教展開の原点が明きらかになり、人への注目が僧伝として成立して行った様を見出し得た。然し乍ら、隋唐に展開する禅等の主体的佛教の立場は菩薩や真人の概念の変遷を通して更に研究されねばならない。又、大乗佛教の行的深化の構造的把握も検討されねばならない。又、在家佛教(大乗)でありつつ出家の型態をとる唐代以降の教団佛教の姿等も重要な研究課題である。これらは今後続けて研究することとしたい。
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