本研究の主な課題は、第1に1982年度に収集した昭和電工(株)の膨大な内部資料(以下昭電資科)の整理と分析に着手することにあり、第2には並行して、チッソを始めとする当業界他社の資料の補充収集し、業界・企業関係者および化学工業史研究者などからの補充聞取調査を行なうことにあった。 第1課題のうち昭電資料の整理は、膨大なコピーを再度閲覧しファイリングないし製本する作業を、ほぼ終了することが出来た。しかし同資料のカード化作業現在も続行しているもののまだ終っていない。なお同資料入手に便宜を計って下さった方々の希望を尊重し、分析結果の執筆を当分見合わせざるを得ない状況にある。また昭電資料の分析には化学工業史・電気化学工業史・電力産業史と同社の内部事情に精通した知識が必要であり、今後下記の第2課題の追求と並行して、同分析作業を深めていく予定である。 第2課題のうち他社資料の補充収集に関しては、各社社史の収集がほぼ終り、電気化学工業(株)に関しては、水俣病の原因となった同じアセトアルデヒド工程を持つ新潟・青海工場の工場新聞の全号、および戦前の工場建設以来の写真多数を入手することが出来た。チッソ(株)に関しては1937年刊行の社史があるのみであったが、近年同社関係者による『日本窒素史への証言』の刊行が現在も進行中である。また戦後財閥解体で同社から分離した旭化成工業(株)の延岡工場史に相当する『薬品部三十年史』を入手することが出来た。 当業界の戦前史分析には電力業界史の参照が不可欠だが、特にチッソに関わる戦前九州の電力各社社史と宮崎県の『県外送電反対運動史』を収集した。 以上のチッソ関係資料と『延岡市史』を用いて裏面記載の第4論文を執筆し、収集済の熊本・新潟両県の内部資料を用いて、第1〜3論文を執筆した。 今後昭電とともに他社の資料分析を深め、当業界の展開過程の全体像の中に、水俣病の発生原因を解明したい。
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