全国的な民家調査および町並調査により、資料が集積されつつある町家建築であるが、その分布状況や系統的な発展過程はまだ十分あきらかにされてはいない。特に都市文化と密接な関係からみて地域間相互の影響関係が重要な意味を持つと考えられるが、その点についてもまだ殆どわかっていない。本研究においてはこのような町家建築の中でも比較的研究の手薄な東日本を取り上げ、その外観に現れる特徴、特に平入・妻入という道路に対しての屋根の形態、および平面を主な指標として分類し、その地域的な分布状況、年代的な発展過程の分析を行い、系統的な把握を行おうというものである。 平入と妻入については日本海側では、北陸地方から新潟県南部までは平入が主流であるのに対して、山形県以北から北海道の諸都市の町家は妻入が多い。また太平洋側では全般的に平入が多いということがわかった。ただし太平洋側でも関東地方内陸部の沼田に江戸時代前期に遡る妻入が残っていたり、また山形県酒田のように妻入が主流である都市においても、中心部の大規模な町家に平入が用いられていたこともわかった。以上のことから町家の屋根形態は基本的には妻入から平入に変化・発展するが、江戸時代において後進地帯であった東国の妻入町家の都市に、先進地帯である京都を中心とする平入町家の作り方が伝播してきた際に、ごく上層部の商人のみが受容して妻入の中で平入をむしろステイタス・シンボルにした都市と、全面的に降伏して平入に変わってしまった都市とがあったと思われる。 平面については京都に典型的に見られる通り土間一列型の平面が一般的な町家の平面と考えられるが、同じ通り土間でも二列型の平面はむしろ別系統で、本来は大規模な上層町家の平面であったと考えたほうが町家平面の系統的な把握のためには有効であろう。
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