1985年9月19日にメキシコ太平洋岸ミチョアカン空白域を埋めるように発生したMs=8.2の巨大地震は、メキシコ各地に大きな被害を斉らしたが、殊に震源より400Km近くも離れた首都メキシコ市では、死者約1万名、倒壊・大破建物が約千棟、推定被害総額50億ドル以上に及ぶ大震災となった。文部省は、此の災害の学術調査が単にメキシコにおける復興計画作成において役立つのみならず、我が国および世界の地震国における今後の防災対策上有効な知見を与えるものとして自然災害特別研究費の一部を用いて東北大和泉、東大地震研伯野および阿部よりなる学術調査団を1985年10月10日より同30日の間メキシコに派遣した。調査団は現地官民、在住邦人、日本の他機関からの調査グループ等と協力しつつ調査を行い所期の目的を達成しその結果を「1985年メキシコ地震調査報告書)としてまとめ、また学会、その他において論文または講演の形で発表した。 今回の地震の特徴は、軟弱地盤上の都市が、過去の災害経験やその解析を通して震害発生の警告がなされていたにも拘らず、予告通りの被害を生じたこと、道路、橋、地下鉄等の土木構造物の被害が軽微であったこと、電話が大被害を受けて一時デマが発生し、またライフラインでは給水が市内一部地域で長期間にわたり停止したこと、震源域および首都で精度の高い貴重な強震計記録が多数得られ地盤条件により同一地震においても地動の大きさや性格が極めて異なること、等が明らかとなった。建物崩壊大破の原因として構造計画、材料および施工等にわたる問題点、ならびに大学おける高度な研究やそれを基に作成されている法規類が、建築デザイナーや構造エンジニアーに理解されて居らず、単に法規を満たせばよいという設計が見られ、コンピューター依存の構造設計へ移りつつある我が国の警鐘となった。社会の情報伝達機構を含めたシステム上の欠点も災害を大きくしたと言える。
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