研究課題
総合研究(A)
報告書は、北海道移住の成立とその定着の過程に沿って、全体が3つの部分から構成されている。第1の部分では、北海道移住者の創出を考察するために、明治・大正期の全国的な府県間移動モデルを立て、大正9年第一回国勢調査データの分析を行うとともに、北海道移住の初期に多量の移住者を送り出した富山県の状況を考察している。分析の結果は、当時の人口移動が農村社会の変貌・産業化に伴う都市地域への集中であったことを示唆するのに対して、北海道移住はこれとは異質な性格を持っているこを統計的に示しており、富山県の検討からは、統計モデルに還元できない当時の歴史状況に規定される人口流動化や府県間連関の特殊要因が析出された。2では、明治20年に屯田兵村として設置されたS村を対象として、主に明治期から昭和20年代までの地域形成・再編に伴う自治組織を中心としたリーダー層とそれを支える基盤とを分析した。その結果、屯田兵村から一般村落への移行に伴ってリーダーを支える基盤は多様化していったものの、その基盤は明治20年の入植時から現在に至るまで自治組織等に重層的な構成をなして蓄積されてきたことが明らかにされた。3では、北海道でも有数の模範部落とされる砺波村の形成と展開に大きく影響した本田栄三郎のライフヒストリーを分析し、その報徳思想と産業組合主義が砺波の危機に存分に発揮され、砺波の再編成に成功したことが解明された。また、本田栄三郎は、この2つの思想を単なるイデオロギーとしてではなく、自分の生き方・生活の中で体得し、それは一つの結果であった。いわゆる内なるものの外部的表現として摂取されたものだけに、実践に当って砺波住民にも受容され、それがまた砺波の形成・発展に大きく寄与したことが解明されている。