研究概要 |
明治維新から廢藩置県が行なわれるまでの時代, すなわち明治4年(1871)までは府藩県制時代ともいわれている. その後, 学制, 医制などが発布されるとともに, 明治政府による政治, 行政, 教育などが固められて行き, 科学技術の欧化政策が推し進められた. この府藩県制時代は, 流動期, 過渡期であり, この時代の科学技術については掴みにくく, その全体像を示す研究が, 今迄なかった. 幸いにして, 昭和60年から昭和62年にかけて, 文部省科学研究費補助金(総合A)を得ることができ, 研究代表者, 研究分担者計21名が, 研究協力者の協力を得て, 共同研究を行なってきた. 共同研究者は, 異なった学部学科出身者, 異なった分野の研究者の集まりであり, 文字通り, 学際的, 総合的研究を志すものであった. 各個人, 各研究チームの調査, 研究がなされ, 毎月の研究報告会で, 報告討論を行なってきている. 結果として, 研究成果報告書の各研究者の研究成果報告に示されているように, 新しい知見を数多く得ることができた. しかし, 各分野の全体像を示すまでに, ましてや, 府藩県制時代の科学技術の全貌を示すまでにはいたっていない. 残念ながら, 個別研究に終始せざるを得なかった. このことは, 府藩県制時代そのものの情報の収集, 積み上げが今迄非常に少なかったからである. しかし, 中山茂, 酒井シヅの研究成果報告に見られるように, 府藩県制時代の科学技術についての研究は, 今後ともさらに, 発展して行くことを約束することができる.
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