研究課題/領域番号 |
60410004
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研究種目 |
一般研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
浦野 東洋一 東京大学, 教育学部, 助教授 (70002467)
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研究分担者 |
藤岡 貞彦 一橋大学, 社会学部, 教授 (30012553)
牧 柾名 東京大学, 教育学部, 教授 (50021879)
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研究期間 (年度) |
1985 – 1988
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キーワード | 教育計画 / 人的能力開発計画 / 労働市場 / 全国一斉学力テスト / 勤務評定 / 高校多様化 / 学校間格差 / 能力主義 |
研究概要 |
人的能力開発計画の前提条件となったものは、(1)労働市場の変化、(2)労働過程の変化、(3)職業教育・訓練の変化であった。 人的能力開発計画の成立の契機は、(1)1957年からの科学技術者と技能工の不足、(2)1960年以降予測を上回る急激な労働力需要の伸びによって労働力需給の均衡が崩れたこと、(3)高校進学率の急上昇などであった。 人的能力開発計画は、西欧型横断的労働市場の形成を目ざしていた。職種ごとに必要な能力、資格要件を確定し、それぞれに対応した教育・訓練ルートを学校制度、訓練制度の中に位置づけようとするものであった。これは、現実には職業学科の多様化として結果した。 全国一斉学力テストによって、各県が学力向上をめぐって相互に競争したことは、経済成長、企業誘致をめざし、高度成長にのりおくれまいとする、特に工業地帯からはなれた地方自治体のあせりを強く反映するものであった。 高校多様化路線の失敗に代表される人的能力開発政策の失敗は、根本的には、西欧型労働市場の形成をめざす意味が消失したことを反映している。1965年の経済不況の頃から能力主義にもとづく労務管理がおこなわれ始め1969年に日経連が「能力主義管理ーーその理論と実践ーー」を出したことに、その現実的意味が反映している。 北海道や富山県など、地方自治体レベルで国に先行して県の総合開発のための人材養成計画(教育計画)を策定した経緯があり、しかも城戸幡太郎、矢口新らの教育学者が参画していた。現地調査で入手した資料の分析と記述(論文化)は、なお課題として残されている。 地方当局者の60年代認識は、勤務評定など、「政治の季節」的認識が相当強いことがわかった。
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