研究概要 |
本研究の目的は, 栃木県における農業・農村構造と関連させて満洲開拓移民の実態を解明することである. そのために, 第1に国および県の移民政策の経緯, 第2に県内の農山村経済更生運動の展開過程, 第3に満洲移民の実態の三つの柱をたてて調査・研究してきた. 1.戦時下の満洲移民には三つの形態がある. その第1は「武装移民」であり, 第2は「青少年義勇軍」であり, そして第3は「分村移民」である. 第1の「武装移民」については那須町千振において3回にわたって体験者からヒアリング調査を行った. この体験者は栃木県出身者をはじめ東北・北陸地方の各県や長野県等の出身者で満洲千振開拓団の帰国者である. 第2の「青少年義勇軍」については西那須野町において当地より渡満し帰国した体験者のヒアリング調査を行った. 第3の「分村移民」については茂木町須藤村と那須町大谷において文書調査およびヒアリング調査を行った. 後者は山形県西村山郡大谷村の分村移民団の帰国者である. 2.文献資料調査は, 滋賀大学経済学部経済経営研究所および山口大学経済学部東亜経済研究所所蔵の満蒙関係資料を大量入手し, 宇都宮大学附属図書館所蔵資料とともに利用することができた. また茂木町役場をはじめ県内における文書を複写収集した. さらに「経済更生運動資料集成」等の刊本も利用した. 3.以上の調査・研究により, 満洲移民は農村の小作制度にもとづく国策としての「棄民」であるという実態が解明されたが, 栃木県においては都会への出稼者や中小商工業勤労者等が含まれる. 今回の報告書では「分村移民」をとりあげ, 芳賀郡須藤村では補助金を受けたにもかかわらず, そして国・県の強力な指導にもかかわらず渡満して分村をつくるにいたらなかった事情を究明した. 全貌は今後の課題である.
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