本研究は、これまで研究対象としてほとんど等閑に付されてきたわが国水産教育の遺産を継承しつつ、200海里漁業専管水域という新海洋秩序形成という問題に直面し、従来からの古い殻を破り、新しい体質に転換していく過程にある水産教育の現状と課題の総体の究明を目指したが、2年間ではまだまだ大学水産教育の現状把握が弱く、課題の究明にまでは辿りつけなかった。しかしながら、昭和60年度においては研究成果中間報告書「わが国水産教育の成立と展開」(昭和61.2=東京水産大学・教育学研究室)を刊行し、わが国水産教育の出発から200海里時代を迎えるまでの史的展開過程を明らかにする目的をかなり果たすことができた。昭和61年度に入って以降も研究の一層の深化を目指し、発堀した新史料に基づいて「黎明期におけるわが国水産教育の史的展開過程」(『東京水産大学論集・第22号』昭和61・12)及び研究成果報告書「明治期における水産教育機関の創設と拡充整備過程」(昭和62.3=東京水産大学・教育学研究室)をまとめることができた。さらに研究成果報告書「高校水産教育の現状と課題」(昭和61.11=東京水産大学・教育学研究室)をもまとめ、転換期に立たされている高校水産教育の内実に迫まったが、その際には船川丸実習船事件を手懸りとした。それというのも本事件は昭和60年9月、インド洋で遠洋航海実習中の秋田県立船川水産高校の実習船「船川丸」から同校漁業科3年の1生徒が同級生2名の手で海中に投げ落された事件であるが、この事件がひとり船川水産高校に限定された特殊な事例とは決して思えず、高校水産教育総体がいま直面しているさまざまな問題と深く関連しているものと受け止め、本事件を手懸りに高校水産教育の現状と抱えている諸課題に迫まることができたからである。されば、これからの高校水産教育の在り方やその体質改善の方途をもある程度までだが、提示することができたのである。
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