本研究は、1982年ドイツ学術振興会(DFG)の助成でマールブルク大学教授W.クラフキと報告者宮崎の二名によるドイツ語部分を継承する形で出発し、残るフランス語とラテン語の部分を補充した。特にその内容分析と歴史的な形成要因の析出が重要な課題だったが、ミラボー他7点の仏、羅両語の、ペスタロッチが閲読した版本を入手し調査した結果、手稿の抜書きすべての該当個所を確認しえたことで未公刊部分すべての整理は完結した。転写不能、意味不明の個所もあるが、仏、羅両語の部分は両独の4名の研究者の協力でドイツ語化し、全体としてA4版タイプで159枚にのぼる未公刊部分を確認しえた。62年3月渡独し、クラフキ教授と打合せをし、出版助成を得て日独いずれかで公表したい強い希望をもっている。 このテキスト批判とその歴史的研究で得た新しい知見には、読書会の影響下にある著述や実践の活動を実証しえたことがあり、いわば人数学的ペスタロッチ像の発掘しえたことがある。時代の公共性論議に彼は読書による情報集収で参加し、従来いわれていた彼の像や彼自身の告白とちがう、いわば研究的ペスタロッチを発掘できたし、また精神分析的な心理的層位を示す新鮮かつ特異な資料的価値を確認しえた。特にこの「ノート」にめだつ文化の日常的次元を構成する言語、性、家族関係をめぐる記述やフリーメイソン系の秘密結社への参画により規定された読書傾向を確認しえたのも成果であった。青年期の3種の雑誌の影響はよく指摘されてきたがこの壮年期の5種類の看過は、その後の彼の思想形成の重要な試金石であると実証しえた。 なお、「ノート」にみられるクニゲ、バールト、ツインメルマンなど7種の伝記的著作と彼らの膨大な著作をペスタロッチの自己記述に関連させること、特に「ノート」にある他人の職業的言語と女子学校論の講演手、稿は、今後の研究計画にしたい。
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