沖縄の農村においては、その村落の成り立ちや社会構造を考察しようとする時、親族組識である門中を等閑視しては語れない。本研究では、門中と村落間の位相について、その典型を束風平村志多伯に求めた。志多伯の事例に即して言えば、村落の社会構造とは即ち、門中の構造を積み上げた結果となっており、理念的レベルにおいてもその事は妥当する。村落生活の中で、人個々人は、自らが所属している門中を通してしか自らをアイデンティファイできない。たとえば屋号のつけ方によってもそれが証明された。屋号は、村落の中で人やイエをアイデンティファイする媒体として最も重要なものであるが、屋号はなによりも、門中内の秩序やハイアラーキーに即して命名されているのである。そして門中自身は、村落秩序との関連で言えば、自らの歴史や出自に相応しい正統性や威信を、儀礼的行為を通して追求しており、さらにアイデンティフィケーションを高めている。たとえば門中の聖墓の創成がそうであり、より高いランクの聖墓とは、村落の世界秩序との関係で中心的位置づけを与えられた墓なのである。 他方、門中は村落内で完結したものではなく、村落の枠を越えて拡大するという側面を持つが、本研究では、伊波中門巡拝の構造を通して分析してみた。門中はその祖先のさらに高祖、さらにその上につながる始祖を求めてアイデンティファイを高めようと努力しているが、中門はそのような高祖を祀る家の一つであり、中門を遠い先祖と信じる門中が沖縄全域からここを拝みに訪れている。中門巡拝の分析によって、祖先崇拝、始祖志向性がいかに強く沖縄の人々によって抱かれ、また門中の理念的基盤がそれによっていかに支えられているかを見通すことができた。しかもこのような始祖崇拝は、過去の伝統的因習というのではなく、現在なお生成されつつあるものであり、門中を活性化させ続けているものである。
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