1644年、明朝が倒れ、首都北京は清朝によって占領された。以後清朝は中国支配を推しすすめ、軍を揚子江以南に進攻させた。この時中国各地に残存していた明の勢力は、まず南京を中心に清朝に抵抗する政権、即ち弘光政権を成立させた。続いて紹興の魯王政権、福州の唐王政権が相ついで建立されたが、内部に明以来の派閥対立等多くの問題をかかえ、短期間で清朝に平定されていった。こうした経過の中で1646年(順治3)明の楊廷麟等がこう州に拠って清朝支配に反抗した。この反清行動を鎮定したのが、もと明将で寝返って清将となっていた金声桓・王得仁であった。所が1648年(順治5)今度はこの金・王両人が再び明側に寢返って、南昌を拠点に反清の反乱を起こしたのである。以上のようにこの時期は明朝の権力は崩壊したが、清朝権力はまだ確立せず、中国の伝統的社会体制は非常に不安定な状況にあった。こうした時、江南各地では南明の抵抗運動と連携し、あるいは個々に独立して様々の民兵集団や反乱集団、秘密宗教結社が活発に行動していた。本報告では南明と清朝との対立状況、及びそうした状況下における上記の民兵集団や反乱集団・秘密宗教結の活動状況の実態を明らかにした。そしてその成果に基き南明の抵抗運動と、これら諸集団の活動が歴史上に持つ意味を明らかにした。
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