研究概要 |
本研究課題の本年度の予定は、ラムネーに関して次の3点を中心に解明する予定であった。(1)1830年代における民主的国家論--中央集権批判と自由・平等の形成原理。(2)『立憲民衆党』紙(1848年)における中央集権体制批判の論調。(3)憲法制定委員会(1848年)におけるラムネーの反集権主義的主張。 1 図書の購入。予定通り、ラムネー著作集(9巻、1843-1844年刊)、ラムネー研究関係図書(18点)、同時代人ブロイの回顧録(4巻、1886年)等の古い貴重な文献を入手することができた。ラムネーの政治的発言の端緒的役割を果す『未来』紙の覆刻計画の情報を得たが、購入予定者が一定数に達せず、数年先に延びたのは残念。 2 資料収集旅行。憲法制定委員会でのラムネーの発言は、同委員会議事録(手書き、1848年)をマイクロフィルムで判読し、それをもっと具体的な時代状況において、、すなわち議会での議論経過との連関で検討するために、議会議事録を閲読するために、8月2回,9月1回上京。 ラムネーの反集権主義思想には論理的に重要な問題があることに気づいた。彼は、1830年代には『未来』紙によって、結社・言論・教育の自由、中央集権体制を批判する中核的論拠となる「地方の自由」を主張し、自由主義とユルトラモンタニスムとを結びつけた独自の自由カトリシスムの理論を唱導したが、教皇グレゴリウス16世に破門された後、民衆の自由と平等のために、サン・シモン流のデモクラシー論を説く社会主義的思想に傾斜していった。トックヴィルは社会主義国家は中央集権的国家体制であると批判しているのに対し、ラムネーは社会主義に傾斜しながらも、中央主権批判をますます強めた。この二つの連関にはいかなる論理的-貫性あるいは矛盾があるのか。を解明する必要がある。
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