日本の工業化における政府の役割は大きい。明治政府は自ら設立した工場や鉱山を払下げて、工業化をめざした。この工業化(官業払下げ)は他国では見られない日本の特色である。 私はこのテーマを政府と企業との関係という観点から『日本の工業化と官業払下げ-政府と企業-』(東洋経済新報社、1977)および『政商の誕生』(同上、1987)として出版した。工場や鉱山を政府から買った「政商」三井・三菱・浅野・川崎・古河は、過去〜現在にわたって日本でもっとも重要な企業グループとなっている。前掲、2著において、政商は官業を払受ける前から工場や鉱山の経営者であったこと、つまり、かれらは近代的企業者であったから払下げを受けることができたとしたのである。 この一般研究(C)においては、とくに三菱への払下げを扱った。三菱は後藤象二郎から旧官営高島炭鉱を買収し、そして、長崎造船局、佐渡・生野両鉱山、大阪製煉所の払下げを受けた。高島の取得は、九州における三菱の炭鉱業進出を促したし、近代組織、労務管理、生産技術の導入に決定的意味をもった。また、1881年(保護者・大隈重信の追放-「十四年の政変」-)以後の三菱への敵意にもかかわらず、政府は長崎造船局の貸下げを1884年6月決定、三菱は1884年7月7日、即日、これを稼動させることができた。それは、横浜に三菱製鉄所という修理工場をもっていて、直ちに技術者・労働者・支配人を横浜から長崎へ移動できたからである。また旧工部省官史は三菱の庶務・勤怠・倉庫各係、同じく技手は船渠・造船各係へ吸収され、また旧工部省から5名の「小頭」が下級技術者として引継がれた。 高島炭鉱の資料、国立公文書館の資料、その他三井・浅野・川崎・古河と官業事業の移転に伴う組織・労務の移転についての資料を集録し、官業払下げ研究の三部作として公刊したい。
|