研究概要 |
明治初期から, 市街地建築物の公布迄の期間を, 一般的な建築規制の制定主旨, 内容から見て, 大きくは4つの区分に別けることができた. 第一期は, 明治初年から明治20年の間で, 江戸時代に比べ建築自由の時代を迎え, 官民や民々間の相隣関係の揉め事を防止する規則が各地で定められた. すなわち, 境界線を明確にせよとか, 道路や提〓を占用してはならないといった規制である. 熊本県の「家作建築規則」(明治8)や, 山口県の「家屋建築規則」(明治17)がその期の代表的な規則である. 次いで第二期は, 明治19年から明治30年の間で, コレラや赤痢等の伝染病の流行に伴い, 住環境の改善や度重なる火災の防止のための規定を盛り込んだ規則が制定された時期である. この期間では, 滋賀県の「家屋建築規則」(明治19年)や静岡県の「静岡市街家屋建築規程」(明治21)その他数多くの規則がある. 又, 明治19年から明治23年にかけては, 規制目的の建築が単独である長屋建築規則が, 全国7府県で制定されており, 特徴的である. 次の第三期は, 明治30年から明治40年の間で, 日清・日露戦争の遂行のため, 鎮守府や師団, 軍港, 基地等の, 辺整備のための規制が出された. 香川県の「家屋建築規則」(明治30), 京都府の「舞鶴軍港附近新市街地建設物取締規則」(明治33), 長崎県の「家屋建築規則」(明治37)等がある. 又, 皇室崇拝の高まりと共に, 明治30年には, 御陵墓や御墓周辺での建築規制が出され, 三重県では「内宮外宮々域地及神苑地附近屋舎制限が制定された. 戦争による重工業の発達と共に, 煙突取締規則もこの期に各地で出された. 第四期は明治40年以降物法の公布迄の期間で, 大阪府の「建築取締規則」(明治42)を嚆矢として, 物法, ひいては現在の建築基準法へと連なる総合的な建築規制を見た時代である. 以上のような大きな傾向を把握することができたが, 開港場を控えた神奈川県や首都としての東京は, それらに先んじ, リードした立場にあった.
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