研究概要 |
昭和45〜46年の豪雨で千葉県北部の小見川町〜旭町一帯の成田層斜面には多くの場所で表層滑落が発生した。崩壊斜面はその後整形・段切りされ、植生土が施されて修復された。筆者等は昭和50〜51年に修復斜面と隣接斜面についてテストピット,サウンディング等による現地調査・土質試験を行った。昭和61年度には当時調査された斜面のうち最も重要と考えられる2斜面について、コーンペネトロメーターを主にした調査を行ない、次の結果を得た。すなわち、当時の崩壊・整形斜面では、コーン支持力30kgf/【cm^2】の深さは余り変化がみられず、ゆるみの少ない斜面下部でせいぜい20〜30cm,平均40〜50cm程度であった。しかし最表層部では段切りされた段の欠落が見られたり植生の変化も生じている。これに対し隣接する未崩壊斜面では、斜面最下部のノリ尻の小崩落や防護用鉄柵の曲りを生じたり表土の流亡が生じたりしており、不安定化は斜面中・下部で除々に進行していることが認められた。 1683年の地震による大崩壊が発生した鬼怒川沿いの戸板山崩壊は先年筆者により調査されたが、昭和61年度には1707年の地震による大崩壊地,富士川下流の白鳥山の調査を行った。この地域は富士川層群の低固結の砂・泥互層より成る。両地点に共通することは、近傍に複数の顕著な大規模クリープ地形が存在し、地震による大崩壊はその一部であると考えられること、また附近の地表には厚いゆるみ層が分布していることである。 ゆるみの進行は膨潤性粘土鉱物を含む低〜中固結岩が乾湿を繰り返す場合には特に急速であるが、それ以外では崩壊直後の数年間を除けば、ゆるみの経年変化は著しく鈍化する。従って降雨の浸透条件は一般に急変しないが、クリープや地震などによっては水みちの不測の変化が起り得る。特に中〜大規模の崩壊ではこの条件変化が重要である。
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