研究分担者 |
川本 隆史 跡見学園, 女子大学・文学部, 助教授 (40137758)
藤本 隆志 東京大学, 教養学部, 教授 (20001795)
野家 啓一 東北大学, 文学部, 助教授 (40103220)
岩田 靖夫 東北大学, 文学部, 教授 (30000574)
上妻 精 東北大学, 文学部, 教授 (10054298)
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研究概要 |
ヨーロッパの精神伝統が広義におけるヘレニズムとヘブライズムとにより織り成されているとき, 正義論もその例外ではない. われわれはヘレニズムを代表するものとしてプラトンとアリストテレスの正義論を, ヘブライズムを代表するものとして旧約と新約の正義論を挙げることが出来る. 前者の流れにおいて正義は基本的に人間と人間との関係において論ぜられ, 後者の流れにおいて正義は神と人間との関係において論じられる. そしてプラトンにおいて, 正義は個人の内面的徳性としてと同時に共同生活の規範的原理として捉えられるとともに, 正義は対立し合う部分の全体的調和に見出されて, 徳の体系において最高の位置を占める. アリストテレスにおいては全体的正義とる区別において部分的正義が説かれ, 後者が主題的に論じられることになる. 同等性が正義の中核の概念とされ, そこに算術手比例による同等性と幾何学的比例による同等性とが取り出される. ヘブライズムが正義論に与えた貢献として特筆されるべきは, 神の前における万人の平等にもとづく同等性, そして神が善人をも悪人をも愛するように, 功績利害に関わりなく, 隣人が欲するところを隣人に施すという, 欲求にもとづく同等性の観念を打ち出したことである. こうして, 西洋思想における正義論の源泉を辿るとき, すでに正義の概念の多義性が見出されるが, この多義性は今日に至るまで正義論の系譜を彩り貫くものと言って良い. しかし多義的であることは曖昧なことではない. このように多義的ならざるを得ない事情を反省し, その各々の場面における正義の概念の機能を探り, 問題を剔抉し, その上に立って相互の正しい関係づけを模索するところに, 正義論の現代展開の方向が見出されなければならないであろう. 正義は対立葛藤を調整するものとして求められながら, 今日正義の名においてむしろ対立は激化している. しかし, これも真の正義を発見する途といえよう.
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