マイクロ・フィルムの焼付については、競爭入札の結果、単価が当初の見積りよりも大巾に低く抑えられたので、予定した焼付を全て完了した上に、かねてより購入を計画していて果せなかったアメリカでのこの分野の著作なども蒐集することができたし、関連する音源資料(レコード等)の補強にも手を広げることができた。ただ、大半のマイクロ・フィルムが私自身の撮影したもので、撮影の条件も悪かったので、焼上がりのよくないものもあって、その整理にはかなりの労力と時間をとられた。当初の目的であった要旨目録の作成については、昭和62年度(継続)の計画調書にも記しておいたように、いくつかのテーマに絞って目下進行中である。とくに、1920年代から30年代にかけての、アヴァンギャルド音楽とプロレタリア音楽の対立時代から、社会主義リアリズムの音楽の時代へと移行する過程に関しては、かなり整理が進んできた。整理の過程で出てきた新しい視点としては、ソ連政府の民族政策とも係わり、同時に社会主義リアリズムという芸術政策とも係わって、ソ連の諸民族の音楽に関する研究である。中央アジアやカフカーズの諸民族の音楽に関する記事が、かなり大きな話題として、「ソビエト音楽」誌を賑わせているのである。また、1930年代後半に、ロシア国民楽派の作曲家達の生誕100年が、次々と祝われたこととも係わって、同時に社会主義リアリズムの音楽を作り上げるうえでの方法論の研究とも係わって、大きな話題となっていることも注目に価いする。今回の研究はまだ終っていないが、現在の段階でも、以上述べたように、1930年代から40年代にかけてのロシア・ソビエト音楽の歴史的展開を考えていく上で、いくつかの新しい視点を得ることができたと言える。
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