研究課題/領域番号 |
61450027
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
松本 和良 新大, 人文学部, 教授 (20085509)
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研究分担者 |
太田 博雄 東北工業大学, 工学部, 助教授 (90077503)
石郷岡 泰 新潟大学, 人文学部, 教授 (00004036)
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キーワード | 住民類型 / ウタリ社会 / ウタリ福祉対策 / アイヌ伝統文化 / 偏見 / 差別 / 都市化過程 / 都市的生活構造 |
研究概要 |
浦河町に住むウタリと一般住民の社会調査結果は、現在分析中なので 明確な結論は出し得ないが、面接調査でこれまでに分かったいくつかの新しい知見を述べておきたい。浦河町のウタリ社会は、沙流郡の山間部にある二風谷のそれに対比して、港町の開放的雰囲気も幸いして、余りひどい差別も受けることは少なく、かなり順調に和人社会に同化することが出来た。従って文化→文政→安政→明治とその人口は増加し、現在、2545人以上と推定されている。 今日、ウタリは、その外見上、生活上、和人と殆ど区別がつかなくなっているものの、その文化的アイデンティティに関して、社会適応上の問題を残している。ある教育者は、「一人でもクラス内にウタリの子弟がいると、授業は非常に緊張して行わなければならない」と述べた。和人はウタリに対して、ウタリは和人に対して非常に気を使うのである。異文化接触は、社会的相互行為や社会活動の障害となりやすいのである。これは企業の海外進出の場合にも言えるだろう。二風谷や穂別の社会調査結果から判断して、文化と文化の最初の出合いにおける人間関係ないし社会関係の成功・失敗がその後の両者間の関係を歴史的に決定する場合が多い。 その点で当町のウタリ社会は、穂別と二風谷との中間程度の社会適応をなしていると考えられた。今調査では更にウタリのパーソナリティ・タイプを析出し、類別化することを企図している。そのために、調査結果の分析を踏まえて、昭和62年度には、更に現地調査を押し進めていきたい。 このまとめにおいて述べ切れなかった事柄は、既に発表している松本和良・太田博雄「平取町と穂別町におけるウタリ社会」(東北都市学会会報vol.22)1986年を参照されたい。
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