研究概要 |
過去百年間,3世代以上にわたってウタリは北海道の新開拓時代に適応を余儀なくされた. これまでの3ヵ所(浦河・平取・穂別)のウタリ・コミュニティの実態調査を通して,日高,胆振地方に多く見出される各地のコミュニティには,それぞれ適応過程の異なる歴史があり,従って,今日のそれらの社会構造と生活構造には,簡単な一般化を許さない多様性のあることが分かった. 和人との最初の接触模様がその後の歴史を大きく左右したと言えよう. 今日,3者の中で適応上最も問題の少ないのは穂別のウタリ・コミュニティである. 浦河について言えば,特に偏見や差別が今なお多く存している. 子供達の生活にとり最も大切な学校コミュニティにおいてそれらがみられるのは残念なことである. それには民族文化の違いの問題も含まれている. 今回の実態調査はそういった事実を明らかにした. 自らの民族的な伝統文化を保持しようとするかなり強い意識をもちながらも,ウタリの人たちの心理は屈折している. 北海道開発の至上命令のもとで苦しい,時きに,悲惨な適応を強いられてきたが,わが国の経済発展によって,彼らもまた現代的な生活様式と生活水準の向上を強く求めているのである. ウタリの人たちは,伝統的な生活に大打撃をこうむり,また,生活を破壊されてきたにもかかわらず,直接,間接にわが国の国家政策に協力してきたのであるから,特別にその生活は保護されてしかるべである. わが国の社会において,たとえ先祖は同根であっても,異質な文化をもつ人達がどのように統合されてきたかを,行動科学的に究明することは意義があると思う. 研究は現在も進行中である. 今後は,もう一つの重要なウタリ・コミュニティのある静内町の社会調査を実施しなければならないと考えている.
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