研究概要 |
最近出版の中国孝古学関係誌ならびに『中国石窟』,『中国方志叢書』,『石刻史料』などを資料として、前近代東アジアにおける地域差と文化伝播についての調査研究をおこなった。研究分担者のあいだで、月一回の研究会をひらき、上記の作業で得られた知見を紹介し検討した。その結果、つぎのようなことが確認できた。 1.中国東北、とくに赤峰から凌源にかけての遼西地方に、最近あいついで内容ゆたかな新石器時代遺跡が発見され、紅山文化の名称でよばれるが、それと黄河中流域の仰韶文化,北方草原の細石器文化などとがどう関連するかが目下の課題。 2.中国古代の都市城壁と古代西アジア,インドのそれと比較すると、とくに女墻(ひめがき)や防禦法にいちじるしい類似があり、早くに西アジアの都市文明が東アジアに伝播影響した可能性がある。 3陝西省鳳翔県で発掘中の奏都雍城および隣接する墓葬は、多数の殉葬者をともなうなど、春秋戦国時代における地域差をよく提示する。 4.前漢帝王陵の構造は都市構造と関連しており、ここにも地方差がみとめられる。 5.甘粛省炳霊寺石窟の第169窟には、西暦420年の墨書銘をともなう中国初期仏教美術(塑像,壁画)が多数残存することが確認されているが、そこにはインド,中央アジアからの美術様式と中国内地の大乗仏教信仰とが交流し、いわば涼州様式といえるものが形成されている。 6.清代に普及した善会,善堂は中国各地で、いちじるしい地方格差がみられ、また西洋医学が普及するに際しても、特定のルートが存在した。 次年度には上記の成果をふまえつつ、より豊富な事例研究と総括をおこないたい。
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