日本の住居建築史において、鎌倉・室町時代は現存建物や発掘調査資料が少なく、研究が最も遅れている時代である。しかし、この10数年来の全国的な開発による発掘件数の増加にともなって、中世住居址が古代以前の遺構と重複し、あるいは中世集落址が多く発見されるようになった。今年度は西日本を中心にして、中世住居址の収集を行い、過去2年度を合わせると東北地方540、中部・北陸地方180、近畿地方360、中国・四国地方470、九州地方250の合計1800棟余の住居址を収集し、遺構平面図とともにカード化した。岐阜・山梨・三重・山口・島根県がまだ未収集であり、今後はこれらの県の資料の収集と既にカード化を終えた資料の分析を行う予定である。 成果としては、資料収集の過程で、平安時代中頃、鎌倉時代末期、室町時代末期に全国的規模で住居形式に大きな転換期があることが明らかになった。とくに、平安時代から鎌倉時代にかけての時期に住居形式は柱間2m前後で、桁行5〜10間、梁行3〜5間程で、屋内の全ての柱通りに柱を立てる、いわゆる総柱建物形式となっている。この形式は室町時代には消滅して、上屋と下屋構造の近世につながる形式に変化するが、突然変移ともいえる鎌倉時代の住居の具体的な構造や、その発生原因については全く不明で、今後の研究の重要な課題である。
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