1 文献資料なとどともに聞書で得られた、大工の生活史などの伝承資料を使用して、徒弟制度の実態を探ってみた。幼い頃から徒弟奉公に入った者が、どのような修業をして一人前の職人になっていったかを考察した。民俗学的な方法による、主な調査地は、長野県木曽郡木曽福島町・日義村、岐阜県高山市、富山県富山市、新湊市などである。 2 伝統的社会における大工は、13〜15歳頃に弟子入りして、徴兵検査の頃まで徒弟奉公をするのが一般的であった。弟子入りすると、親方の家族の一員として住込みの生活がはじまった。最初は家事手伝や道具の運搬などの仕事をしながら、鉋のとぎ方、鋸の使き方などをした。その後、あまり重要でない部分の材料を渡され、板削り、穴彫りなどの技能を習得した。年明けの頃になって、ようやく敷居入れ、天上張りなどをした。見様見真似で簡単な仕事から、複雑な仕事へと技能を習得していくのであった。技能伝授の秘密性は大きな障害であった。徒弟に対する技能の教育方法は非組織的であり、その教育内容は非系統的であった。技能の習得段階と修業生活について明らかにした。21歳になると年明けになり、一人前の職人として認定された。その際に、親方は徒弟に道具一式と晴着を与えた。礼奉公は半年〜1年であった。多くの大工たちは直接の親方か、あるいは、他の親方のもとに雇われて働いたが、その後独立する職人もいた。親方と弟子の主従関係は生涯続くものであり、親戚付合になった。 3 将来の課題(1)親方から独立して職人になった時について、調査・研究を進める必要がある。(2)親方は仕事の縄張りがあって、お互に勢力を争った。その実態を明らかにしたい。(3)長野県木曽郡の大工の弟子には、本弟子と寄弟子があり、その実態について、同県の他地域、他県についても究明したい。
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