研究概要 |
ここ数年来急速に発掘資料が増加している、横打剥離法による小型剥片を素材とする台形(様)石器に局部磨製石斧が伴なう石器群に注目して、熊本県の曲野遺跡他、岡山県の風卑A遺跡他、群馬県の下触牛伏遺跡他、千葉県の中山新田I遺跡他、秋田県の風無台遺跡他等々の当該石器群を実地に比較検討した結果、いずれも極めて類似した様相であって、汎日本的に相互に強い関連性を有する石器文化が存在していたことがわかった。 これらの石器群は一様にAT火山灰層(21,000〜22,000年前)下から出土するため、後期旧石器時代の早い時期に位置づけられると予想されたので、従来調査密度の濃い関東地方武蔵野台地ローマ層、特に【VII】層以下、及びそれと並行すると考えられる時期の他地方の既知の石器群を再検討してみた。結果は、当該石器群は武蔵野区層を中心にして、それ以前に遡る可能性があり、また降っては【VII】層あたりまで継続するという見通しを得た。従って、日本の中期旧石器時代から後期旧石器時代への移行期の文化を考える際には、従来通り、ナイフ形石器と石刃技法の祖型を追求するばかりでなく、むしろ、横打剥離法、小型石器、石斧といったものに注目しながら、それらの起源と発展を追究することが必要であろう。こうした展望に立って、昭和62年度は茨城県の久慈川流域を踏査し、表採資料の増加とその結果による試掘調査を予定している。
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