61年度の具体的な調査は、大分県大野郡大野町の宮地前遺跡の発掘調査とその整理に重点をおいて進めることを心がけた。 宮地前遺跡の発掘調査は、61年12月の中旬から下旬にかけての14日間実施した。1〜4層までは客土層および攪乱層で、弥生時代前期〜中期の土器片、縄文時代晩期の土器・石器が混在し、しかも細片の状態で出土した。5層は縄文時代晩期の包含層で土器片・偏平打製石斧が出土。さらに、堅穴住居跡と考えられる遺構の一部が検出された。7層はソフトローム層への漸移層。この層から8層のソフトローム層の上部にかけてが旧石器時代の遺物包含層。細石刃・剥片それに台石などが出土したが、石器群の数は必ずしも多くなかった。包含層までの深さが3メートルを越え、縄文時代晩期の包含層が厚く堆積し、さらに遺構の一部がかかっており、石器群の集中が予測される地域までは発掘出来なかった。 大野川流域の旧石器時代の遺跡(大野郡犬飼町の松山遺跡)が、破壊されるということで、62年2月に2週間表面調査および発掘調査を緊急に実施した。ローム層への漸移層およびローム層の上部まで削平され、流紋岩製の石器・石片などが多量に露出していた。3月に予定されている耕作・作付けによって、破壊される地点の約90ヘーベの発掘調査とその周辺の表面調査を行った。細石刃・細石核、ナイフ形石器、剥片・砕片など、流紋岩製の石器類約600点が漸移層からローム層上部にかけて、良好な状態で出土した。表面調査でも、削器・ナイフ形石器・剥片など多数発見され、予想以上の成果をあげることができた。今後、松山遺跡は大野川中流域における細石器文化の重要な遺跡として注目されるものと確信している。 資料の収集(記録化)は、松山遺跡の緊急調査のため宮崎平野周辺出土の細石器関係資料の一部だけにとどまった。
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