まず、〈ツ〉〈ヌ〉の違いについて諸家の説を検討した。それを踏まえて手始めに、落窪物語の会話文及び源氏物語の会話文の一部を資料にして、過去及び完了の助動詞の意味の違いについて概略を考えた。本格的な、古代日本語のテンス・アスペクト組織の記述には、源氏物語のカード化が完成した後とりかかった。その結果、概略を記述した際には見出せなかったいくつかの事実が明らかになった。まず第一に、〈ケリ〉の過去を表す用法は、今まで知らなかった出来事を今始めて知ったことを表す用法と関連があるものとこれまで考えていたが、そうではなくて、出来事を認識したのが過去のことであることを報告する用法と関連が深いことが分かった。これは、過去を表す〈ケリ〉は、伝承回想を表すという通説と真っ向うから対立するもので、過去を表す〈ケリ〉は、報告者が実際に見聞したことを表すものであることを示すものである。かく、〈ケリ〉が伝聞を表すものではないということになって、〈キ〉が経験を表すものとして〈ケリ〉と対立するという見方も再検討が必要になった。第二に、〈ヌ〉の用法に、これから起こることを表す用法が、落窪物語とは比較にならないほど多く見られたことも発見であった。〈ヌ〉にこうした用法が多いことは、〈ヌ〉が、単に、すでに出来事が完結しているというテンス的意味ではなく、未完了に対立するところの完了アスペクトを表すものであることを示唆するものである。ただし、〈ツ〉を同様に完了アスペクトを表すものとしてよいかどうかについては疑問が残った。第三に、〈タリ〉〈リ〉については、動きの継続や変化の結果の継続も含み込むような、広い意味での状態の持続を表す意味が中心であることがはっきりした。
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