1)『ミルトンと霊魂死滅論』においては、spiritとsoulの違いをギリシア語にさかのぼり、さらにヘブライ語と比較しながら検討し、霊魂の不滅ではなく、死滅を主張する説の方が聖書的であり、霊魂不滅論はむしろギリシア思想に属するものであることを明らかにした。そしてルターやミルトンがそれを主張していること、現代ではクルマンが説いていることを述べた。 2)『失楽園における悪魔の運命』においては、最後の審判によって地獄も消滅し、悪魔もdissolveすること、そういう思想をミルトンがオリゲネスから学び、『失楽園』のなかに表現していることを述べた。 3)『最初の背きと最後の赦し』においては、『失楽園』を何よりも一個の完結した作品として見たとき、その作品としての意味・価値は何か、を探ろうとした。人間アダムの背きと赦しが、この作品の主題であることを確めながら、しかもそれが人間を超えた超自然的存在、すなわち悪魔の背きと赦しという枠のなかに納められ、包みこまれるという構造になっていることを明らかにした。 4)『カテキズムについて』においては、カテキズムが現在のような問答体になったのはルター以降であること、かつ、カテキズムの叙述の順序によって主知的信仰と主意的信仰の相違が分ることなどを明らかにした。ルターとルター主義の影響の強いところでは、「信条」の前に「十戒」を置き、先ず、人間の罪を自覚し、病人が医者に頼るようにキリストへの信仰に向かわせようとしている。
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