アリストパネスの喜劇は、現存作品を見る限り二番煎じというものはなく、いずれも前代未聞と言ってもよいようなアイディアで筋を組み立てられている。しかし、それらの独創的な筋だてを肉づけしていく個々の場面の喜劇的テクニックとなると、幾つもの作品に共通するばかりでなく、初期の作品に既に出つくしているともいえる。そこで初期の作品を分析すると、長大な新造語、駄洒落、かけことば、意味あるいは発音の連想で場面を転換していくこと、相手の科白の繰り返し(言葉による笑い)、パントマイムの導入、意志と動作の分離、「隠れんぼ」「鬼ごっこ」あるいは「びっくり箱」のような子供の遊びを舞台上で行うこと、卑猥なしぐさ(行為による笑い)、そして、それらから触発される「思想による笑い」、これらがアリストパネス喜劇における笑いのテクニックの主要なものとして取り出せたが、この中には、民俗行事の中にその淵源が認められるものも多いように思われる。 日本でも、新生児の胞衣を埋めて3度笑うエナ笑い、小正月のオンベ笑い、田植祭のサナブリ等々、笑いは通過儀礼や豊年予祝の祭に現われることが多いが、笑いには価値を逆転させ、殊に死せるものを再生させる機能があるとされている。アリストパネスの喜劇においても、困った現実から理想の状態へ、戦争から平和へ、不毛から豊作へ、性的不如意から性的充足へ、これらの転換がすべて笑いの中に実現されているが、これだけの転換が可能なのは、アリストパネスの笑いが単なる文学的創作ではなく、民俗行事に深く根ざしたものであるからであった。エジプトのブバスティスのアルテミス大祭における船上の女と岸辺の女の鴬り合や着物のたくしあげ(ヘロドトス『歴史』【II】60)、アイギナの悪口雑言祭(同書【V】83)などの民俗行事がアリストパネスの喜劇の背後に横たわっているのである。
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