研究概要 |
遺伝子の組み替え施設についてのハーバード大学のケースは, 科学者が自己の研究を実践する場合, 住民や市民の合意を獲得するのに, 大きな努力と誠意を尽くしアセスメントやマイナス面の公開をしなければならないことを必要としたが, 日本でも同様の課題をかかえている. アシロマの遺伝子組み替えの科学者自身にする自己規制決議も, 実は, 先発グループが後発グループの実験を阻止する意図があったことも明らかになり, 必ずしも危険(バイオ・ハザード)の事前防止を志向するためだけの規制ではなかった. 日本の各大学医学部でのヒアリングや, 私も「脳死と臓器移植の社会的合意形成」と題する報告を行った日本移植学会総会での議論を聴いても, 市民は無知ときめつけて, 移植に向けての先陣争いをする一部医師グループの驕慢さえも感じられた. 脳死に関する日本医師会生命倫理懇談会の報告が公表されたが, 欧米のように人間機械論や自己決定論による生前発効遺言(Living Will)は, 日本の精神的風土や生命観に親しまない意見が, 市民のヒアリングで表明されることが多かった. このような日本的心情は非合理的であって, 脳死や臓器移植に対する医師による教育啓蒙活動や公開討論会が試行されようとしているが, 人類愛にみちた臓器提供という倫理の押しつけになりはしないか. 医師が十分な国民的信頼を得ていない現状では, 家族が十分な情報を与えられて移植の同意を表明しうるかどうか, 疑問である. 移植には多額な自己負担の医療費が必要であるため, 富める人や社会的強者が, 死にゆく人や社会的弱者の犠牲のうえに生きながらえるという差別にもつながりかねない. 医師は, ヒポクラテスの宣誓に立ち帰って, がんの克服や延命技術そして人工臓器の開発など, もっとほかにすべきことが多いと思う. 大学の倫理委員会にも他の分野の幅広い層からの委員を参加させ, 開かれたものにする必要もある.
|