研究概要 |
実施計画の予定通り資料恵集とヒアリングを行った結果、次の知見を得た。 1.戦後の婦人労働は戦時中のダイリューションを経て、その中からかなり熟練工(既婚者、末亡人)が生まれ、49年頃まで組合の指導的役割を果したことを谷野せつ氏の証言と合せ確認することができた。 2.組合婦人部の形成過程をみると次の如きタイプに分類される。(1)総同盟では戦前の組合運動家により再建し、規約も昔のを手直した。特に全繊同盟はその経験者が婦人部長になり容易にみえたが、出稼ぎ女子労働者のため、翌年には婦人対策部となり、更に寄宿舎民主化委員会が活動の中心となり婦人対策部は有名無実となった。(2)日教組は婦人の比率も高く女教師への差別待遇と母性無視の経験から組合結成の動きと同時に保護と平等の要求を中心に婦人部を主体的に組織している。(3)その他は労働組合に対する認識もなく組合役員や上司の依頼によって婦人部を結成するが、「婦人部とは何をなすべきか を問い続け、労働実態と経験から徐々に問題意識が明確になる。 3.国鉄婦人部では多くの知見を得た。(1)特に女子5万人の解雇案に対し協定が成立し勝利したと運動史にはあるが、その時女子は殆ど辞めされられていたという体験,(2)婦人部廃止案では代議員の二重選挙権行使にならぬ二つの案を考え、GHQもこれを認めたが大会では議長の一票行使で否決される程、組合の封建制に常に悩み続けた。(3)職階制に切替った時、女子のみの職務評価は不当に低く、問題解決には壊減状態にあった各単産婦人部を再建し、横断的な婦人組識が必要と考え総評婦人部設置に至る経緯が明るみに出た。「総評婦人25年の歴史 にはわずか一行しか記されていない。 4.この時期のイギリスの婦人労働関係の資料を発見した。継続計画調書のごとく、イギリスとも対比して日本的特徴を浮彫りにしたい。
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