本研究は、日清戦争から1930年代までの日本の製糖業の発展を、「日本」経済史という地域的限界をこえて、広く東アジア・東南アジアという地域的フレームワークのなかでとりあげ、国際経済関係史のなかに位置づけようと試みるものである。とくに日本の製糖業という個別産業の発展が、日本の対外的経済進出とどのような関係にあったのか、また同期において東アジア精糖市場で大きな影響力をもっていたイギリス系二大精糖会社(スワイア商会の太古糖度とジャーディン・マセソシ商会の中華糖局)の生産・販売構造にどのような影響をあたえ、かれらがこうした競合関係のなかでどのような変化を余儀なくされたのかを、両社の経営資料にもとづいて、日英間の国際経済摩擦のケース・スタディとして検討すること、とりわけ後者に重点がおかれた。 一次資料として利用したのは、主として太古糖度関係資料(ロンドン大学SOAS図書館所蔵)および中華糖局関係資料(ケンブリッジ大学図書館所蔵)であったが、関覧許可上の制約により筆写あるいは複写枚数の制限など資料収集に限界があり、またイギリスでの資料収集という時間的制約のために、当初予定したほどの資料を収集することができず、研究成果のとりまとめに時間を要さざるをえなかった。 しかし、本研究において、当初設定したアプローチにより、スワイア商会の太古糖度に焦点をあてて日英糖業資本の競合関係を具体的に分析することを通じて、該期の日本精糖業の発展が既存の東アジアにおける精糖市場の構造に再編成を余儀なくし、中国市場におけるイギリス資本の生産・販売戦略を変更させ、最終的にイギリス資本を駆逐していった過程を具体的に解明できたと思われる。
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