研究概要 |
1.波食窪か雲形浸食か. 当地域では波食窪等についていたマガキ穿孔貝の穴は冬期の隣脱現象で削剥され, 海成の証拠と同時に時代を示す資料を失なう. 鳴瀬町潜ケ浦は戦後干拓された所で典型的な雲形浸食を示す波食窪でありマガキがまだ付着している. このことから雲形浸食の形をしていても, それが点々と100m以上つづけば, 古汀線で考えられる. 雲形浸食では波食状地形は10数mもつづかないから. 2.海生貝を産出する貝塚の調査から次の3点が明らかになった. (1)松島湾周辺を除き, 早期末貝塚のみが海生貝からなり, 時代を件に汽水種にかわる. (2)アカニシを除き内湾性潮間帯種を主とする. ハイガイは早期から産出する. (3)前期から晩期に海生種が産出しなくなる理由として, 土砂の生産が海の侵入を止めたといわれているが, 干潟の広がる環境に洪水がしばしば流入し河道を変えることで自然堤防が形成され潟や沼ができ海棲種が生息不能になったとも考えられる. 3.相対的海水準変化曲線. 柴田町槻木周辺の貝塚の貝は早期木海生種から汽水種に変化している. この地域内海浸は早期末に限られている. 貝塚近くにお金の波食窪等点々と3Kmにわたって波生窪がつづいている. このことは早期末の海水準が6mであったことを示している. 宮戸島里浜の沖積層の-1.5mの深さから晩期に相当する泥炭層が発見さ れている. このことは晩期の海水準が-1.5mより低かったことを示している. 以上のことから相対的海水準変化曲線を得た. 4.早期末・晩期の古地理図. 貝塚の分布とその高さ等から早期末と晩期の2枚の古地理図を得た. 5.海抜2-3mの低地の研究ではそれより高い海水準は不明である. 旧波食窪は縄文高水準を支持している.
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