静岡県の天竜林業の構造的性格を把握・解明するため、既に発見し保存してもらっていた大富部家と津倉家(静岡大学保有)の古文書の収集・分析と、天竜林業に関する資料を蔵する京大など各大学で関係資料を収集・分析し、さらに、天竜地域においても江戸時代から今日に至る関係資料を収集・分析した。その結果、以下の如き新しい知見・成果が得られた。 1.大富部家は、天竜川支流の阿多古川筋にある上阿多古村の名主を歴代勤め、かつてこの地域の山林を大富部分家と2分して所有していたが、商人への道を歩まず、百姓として生産者の道を歩いたため、窮乏化と共に山林を切り売りし、最後は7haの山林所有者へと縮少した。その山林を買い取ったのは商品作物を栽培した百姓達であった。かくして、阿多古川筋の林業構造が農民的展開構造を示す理由がわかった。 2.津倉家は、4代前より回船問屋で掛塚港に住み、所有船2隻で天竜材を江戸へ運送・販売した。その取引量は相当なものであり、この問屋業で資本を蓄積して天竜地域の山林を相当面積購入し、山林地主となった。鉄道が中ノ町を通るようになり木材は鉄道で東京へ運送されたので、津倉家は回船問屋を止めて中ノ町に製材工場を建て併せて山林経営を営んだ。現在も相当面積の山林を天竜川本流域に所有している。このように、津倉家は商人資本として資本を蓄積したが早い時期に生産業者に転化しており、地主的展開構造を示していない。 3.京大など各大学と、天竜地域とで収集した資料でも、天竜林業の構造的性格は、これまで言われてきた地主的展開構造を示しておらず、むしろ、それとは反対の性格である農民的展開構造を示していることがわかった。4.総括すると、天竜林業の展開構造は、農民的展開構造型であり、将来の発展もこの性格の方向をとるべきである。
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