外資の日本への直接投資は、1983年現在で4973百万ドルで、うち75.4%が製造業である。この投資は、1960年の送金為替の自由化以降増大し、1973年の資本自由化の完了を契機に本格化し、わが国の先端産業の発展に大きく寄与している。外資の日本への進出は、日本工業の高度化・産業構造の変化に深く関連し、その産業通商政策に大きく影響されてきた。投資額では、装置型の石油を中心とした化学が最も多く、これに1973年以降進出の著しい機械・金属工業が続く。1982年の通商産業省の調査では、外資系企業の全法人製造業売上高に占める割合は、2.8%にとどまっており、外資系企業の進出と定着は、日本の工業化の過程で内発的に進展してきたものが多い。外資系企業の日本進出は、医薬部門に典型的に認められる技術優位性と日本の市場拡充に支えた数の、日本企業に比べて約2倍という高い収益性による。1966〜77年の米国製造業の海外投資における収益率は、19.0%と西独(18.0%)やオランダ(12.9%)に比べても高く、それが外資系工場の立地動向調査(1972〜84年)に於る米国系(81工場)に次ぐ欧州系企業の日本進出をもたらしてきている。歴史的には、1897年の金本位制の確立、99年の外国人特権の廃止と居住の自由を定めた条約改正、それと軌を一にした明治商法の改正によって外資導入による会社設立・技術移転が一般化した。外資合併会社の第1号は、この1899年に設立された日本電気であり、市場の拡充と技術導入が一般化し、1942年の産業統制法によって内資化が促された。しかし、第2次大戦後、外資系企業は復活し、1950年の外資に関する法律でその地位が明確にされ、高度経済成長と自由化で、2次的工場が展開し、関連会社の設立も進み、中枢管理・研究開発機能に吸引された首都圏と既存工業集積を基にした東海を2大中心に全国的に展開していった。1965年の富士ゼロックス以来展開された海外への進出は、73年の石油危機後一般化している。
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