研究分担者 |
曲 宗瑜 遼寧師範大学, 中文系, 副教授
許 志剛 遼寧師範大学, 中文系, 副教授
劉 玉耀 遼寧師範大学, 中文系, 副教授
盧 文暉 遼寧師範大学, 中文系, 副教授
李 世剛 遼寧師範大学, 中文系, 教授
ZONG-YU Qu Liao Ning Normal University Assistant Professor
YU-YAO Liu Liao Ning Normal University Assistant Professor
ZHI-GANG Xu Liao Ning Normal University Assistant Professor
SHI-GANG Li Liao Ning Normal University Professor
WEN-HUI Lu Liao Ning Normal University Assistant Professor
ZONG-YU Qu Liao Ning Normal University Assistant Professor
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研究概要 |
三年間にわたる我々の日中共同研究の目指したものは、「中国の伝統文化とその現代的意義」(報告書所収)に述べるように、中国の伝統文化ーここでは屈原・陶淵明・〓信・杜甫を主な対象としたーを新しい今日的な視点で検討してみようという点にあった。そのために、まず数回の共同討論会を行い、最近中国学術界で主張されている(1)「宏観(マクロ)研究」(2)「伝統文化と現代化」という二つの視点を柱とすることを決めた。この線に沿って、以後三回中国・日本において資料の収集・調査を行い、さらに共同討議を繰り返し、最終的な各自の成果を報告書として作成するに至った。 まず、中国語論文から述べれば、李論文は,屈原がいかに「内美」「好修」を堅持しつつ、どんなに迫害を受け不幸な目に会おうとも、常に高潔な人格を貫いた人物であったかを論じ、その故に後世の多くの知識人の尊崇の対象となって行った点を指摘した。また盧論文は、陶淵明の「桃源郷」の世界を取り上げ、それが搾取も圧迫もない、平等・自由な理想社会への憧憬の表現であり、このような姿勢から彼が現実世界を批判したことを指摘した。さらにそのユートピア像が後世の中日の文学にいかに大きな影響を与えたか。また今日の中国で、それが持つ閉鎖性と普遍性の矛盾の問題について新しい見解を示した。 劉論文は,杜甫のヒューマニズムの精神、及び社会的責任感等について述ベている。氏によれば,杜甫は人民大衆の困苦に対し、深い同情を寄せたが、それは決して高いところから下を見おろしての恩情でも憐愍でもなく、全く彼の内心からの自発的な心情であったことを、詩の内的理解を通して示した。さらに、その人民愛と根本的に対立するものだが、杜甫自身は決して愚忠であったのではなく、厳しい皇帝批判もあることを指摘した。と同時に、儒教文化の詩人の性格に与えた制約をも認めている。 以上の李・劉論文を基に、曲論文は明末清初の王夫之の屈原・杜甫に関する評価の分析を通して、王夫之がこうした憂患詩人の作品の中に、時局を救うべき己の使命感を見いだし、その精神を継承しようとしたことを述べた。また許論文では、宋人がなぜ杜甫をあれほどまでに尊崇して行ったのかについて分析し、主たる要因を、杜詩中における人格と詩格の融合にあることを示した。 次に、日本語論文についてその成果を要約しよう。まず、「〓信のレジスタンス」では、従来空白だった西魏下における〓信の活動に的を絞り、異朝への帰順をめぐり、〓信の強固なレジスタンスとしての隠逸、及びその破綻に至るまでの過程を、詩の内面的な読解を通して明らかにした。これを通して、〓信はこれまで言われていたような単なる「望郷詩人」なのではなく、より本質的には、屈原や杜甫・金聖嘆らと同列の体制崩壊期における「憂患詩人」の系譜に属するものであることを論じている。 ところで、金聖嘆の『杜詩解』だが、これには右述したような中国伝統文化の代表的な部分を継承し、さらに当時としては特異な近代的知性と感性とが現れている。『杜詩解』の基調は、腐敗した体制への批判だが、貧官汚吏批判・朝廷批判・皇帝批判の主に三種に分かれ、当時の封建社会の矛盾を鋭く衝いたものといえる。また、金聖嘆の詩集『沈吟楼詩選』の中の「借杜詩」についても取り上げ、金聖嘆がいかに深く杜詩を理解していたかを明らかにした。さらに右の検討を通して、金聖嘆の杜詩解釈が革命期特有の急激な水平化現象の下で、彼がいかに鋭く人間の同一性を洞察し、平等の感情に捉えられていたかを示した。こうした杜詩解釈が、どれほど近代的なものであったかは、同時代人銭謙益の杜詩解釈と比べても相当に徹底的であり、また近代の聞一多の「人民詩人」論に至るまで、こうした杜詩論がなかったことからも明かであろう。 今回、論じられなかった部分については、また次の機会を待ちたい。
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