研究概要 |
メソポタミアの2千年紀は,アッシリア,バビロニア,ヒッタイト,カッシート人などの種々の人種が入り混じる混迷の時代である. それだけに複雑な文化複合は,いまだ不明な点が多い. そこで,近年の発掘調査で得られた考古学的資料をもとに,これらの相互関係,編年を詳細にわたって研究し,暗黒時代の2千年紀の一端を明らかにすることを目的とする. 昭和58年から61年度にわたって,国士館大学調査団は北イラクのエスキ・モースル地域の遺跡群を調査し,2千年紀のハブール式土器,ヌジ式土器など考古学的新資料を得た. よって,これから,編年と文化的特性を把握し,加えて,アッシリア学の権威者であるルーダ教授との研究協力を進め,メソポタミアの2千年紀の考古学的編年を確立した. 1936年,マローワン(Mallowan)はチャガル・バザール(Chagar Bazar)の発掘によって,″平行帯或いは幾何学文様からなる単彩かつ無光沢の彩色を施した貯蔵用の壺″をハブール式土器(Khabur Ware)と命名し,マローワンとルーダ(Hrouda)はこれを前期(old)と後期(young)の二期に分けている. これらはヌジ式土器(Nuzi Ware)とともに2千年紀の代表的な土器であるが,その後の発掘調査によって種々の土器が出土し,これらの定義や編年の再検討が必要となっている. そこで我々は,ハブール式土器を″1.高頚て広口の壺で肩部や頚部に平行帯文,三角文,班点文等の単純な幾何学文を施したもの(jar). 2.竜骨形の鉢で口縁に短線を施したもの(bowl). 3.薄手の台付き杯(cup,goblet). ″等に大分類した. そして,″無光沢の赤色系(赤褐色,暗赤褐色等を含む)の彩色が施されたこれらは,すべて轆轤による製作である. ″と定義づけた. 今回,エスキ・モースル地域のジガーン遺跡の発掘調査を整理研究した結果,ハブール式土器が出土する層(IV,V,VI)は,後,中,前期(Late Intermideate,Early)の三時期に分けられる. 更にこれらの前層(VII)には刻文と彩文を共に有する土器が出土し,これらがテル・タヤ遺跡4層にもみられるところから,ハブール式土器出現期は元来のシャムシ・アダドI(c.a 1813ー1781 B.C.)の頃を更に遡り,紀元前2000前後に推定される. また,最近トルコのカラカヤダム建設地域のイミクシャギ(imikusagi)やイマモキュル(imamoglu)からもハブール式土器が報告され,分布の北限が更に拡大しつつある. ただ,これらの問題に関しては科学的な土器の同定分析を行う必要があると,ルーダ教授は指摘する. 今後は,特に後期のハブール式土器がヌジ式土器と共伴し,それらの土器の形式や彩文,また分布等に類似点か多いところから,これらの相互関係と,その編年を明らかにしたい.
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