研究課題
作年度は狄嶺文庫に残されたいる狄嶺の遺稿の検討や、各地に散在する狄嶺会会員の収蔵する関連文書を閲覧してきた。今年度もこの作業は進めたが、『地涌のすがた』、『場の研究』などを中心に、狄嶺のユートピア論の思想耕三の解明に重点をおいた。そこで明らかになったことを列挙する。1)狄嶺のテクストは錯綜し難解であるが、それはもともと文章として読まれるより、狄嶺が主宰した東京世田谷の牛欄寮や、信州で行った連続講演に集まった人々を対象とする提話であり、聞かれるものであったからである。逆に、それらの場に集まった人々の生活や関係性ぬきには、狄嶺の思想のキイ概念である「場」、「行」、「家稗」、「農乗」、「史乗」も理解されない。2)狄嶺にとって「場」とは教育の場である。しかし、その場はたんなる学校をこえ、家庭も社会も、教育的価値のみられるところはすべて場なのである。国民教育は世界教育へと重ねあわさられ、拡大される。具体的な日常生活と世界教育との連続性の強調。3)「行」はこのような思想を生活実践のなかで感得すること、具体的には農場の生活の中で身につけることである。「行」は成形化を通じて「場」へと接続させる。こうして、場において個のパースペクティヴは全体のパースペクティヴに拡大される。4)このような視点から、狄嶺は1937年の盧溝橋事件、日中衝突について考察し、批判する。歴史は集団の相互作用のうちでつくられるが、そのことは強力の論理を排除する。成人した人格としての国家が主体である普遍史乗学からみると、日本の中国にたいする行動は狄嶺には許容できないものであった。5)晩年の狄嶺は、中央の総合雑誌で活躍した大正期とはことなり、『新時代』など小さなメディアや講演などでの活動が多くなる。しかし、語りかける対象の縮小はかれら内部での関係をより密接にしていったのである。
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