研究課題/領域番号 |
62460179
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研究機関 | 名古屋工業大学 |
研究代表者 |
内藤 昌 名古屋工業大学, 工学部, 教授 (10024192)
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研究分担者 |
渡辺 勝彦 日本工業大学, 工学部, 教授 (50049706)
若山 滋 名古屋工業大学, 工学部, 教授 (00167090)
松岡 元 名古屋工業大学, 工学部, 教授 (90027277)
小野 徹郎 名古屋工業大学, 工学部, 教授 (30024300)
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キーワード | 城郭石塁 / 輪取り / 後藤式 / 秘法 / 反り |
研究概要 |
本年度は先年までに考察した設計法を踏まえて日本城郭史上代表的な天守台21例の調査結果により石塁の構築技術を検証した。 (i)平面計画 上端平面の各角を直線で結び4角の平均値の直角との歪み、水平方向の撓みの比の平均値である輪取りとまとまり率を指標とする。築城年代が降るにつれ、歪みも、輪取りも小さくなり、歪みは彦根城以降、輪取りは津山城以降ほとんど見られない。まとまり率は松江城以降ほぼ短形に築かれており、施工精度上ここに平面計画の技術の完成をみる。 (ii)断面計画 後藤式の曲線は実際に用いられたものと考えられる。築城年代が降るにつれて、放物線の頂点付近を近似する反りの大きなものが築かれている。熊本城天守築城の頃よりa/b=0.25,h/H=0.67に近い値をとるようになったことはこの曲線が力学的に合理的でありしかも美しく構築できる経験則としての「秘法」として固まったことを示す。またH^2/bの値は地盤の良否との相関が強い。曲線の反りは構築技術との関連で、萩城、熊本城、名古屋城で強いことが明らかになった。 以上要するに城郭石塁の設計法は天正前後より慶長年間にかけて反りの少くない断面と輪取りのある歪んた糸巻形の平面から、見事な反りを持つ断面へと整った短形平面へと急速に発達する。断面計画は熊本城(慶長4年)に見られるように確立し、平面計画的には松江城(慶長12年)の頃で完成し、名古屋城の頃頂点に達したと言える。しかしこれらの技術も天守が「一城の飾」と化してからは小規模石塁が築かれるに留まり、二条城(寛永3年)の石垣をもって城郭石塁の最盛期を過ぎたとすることが出来る。
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