研究概要 |
仏教は教相と観心で成り立っている. 教相は智慧に立脚して教義を明らかにすること, 観心は正しい教義に立脚して仏道を実践することである. この両者が車の両輪のように一つとなって仏教の真髄である涅槃寂静の境地に到達することができるのである. 仏教の実践修行である観心は, 心の本性を観照して真理を体得することである. 中国の天台大師智〓は一念心に空仮中の三諦を観ずる一心三観の観法を説いた. 智〓の観心法門を摩訶止観の一念三千に見い出した日蓮は, これを仏教における究極の法門と受けとめ, 末法という時代認識の中で, 南無妙法蓮華経の題目信仰へと昇華していった. 従来の観心修行が己心を観察する個人的な観念観法であったのに対し, 日蓮は法華経を実践し, 立正安国を実現するところに一念三千の観心修行があるとし, これを事行の南無妙法蓮華経と称した. 日蓮の観心修行は法華経の本門に立脚した事の法門であり, 極めて具体性・現実性に富んでいる. 題目受持は単に口で南無妙法蓮華経と唱えるものではなく, 身をもって法華経を実践し, 法華経の世界を現実の歴史社会に実現することである. したがって, 南無妙法蓮華経の題目受持は, 日蓮にとって, 個人的な修行ではなく, 社会を仏国化していくための仏行であったのである. 本年度は, 中国の天台大師智〓から日本の日蓮にいたる, 観心思想の流れとその特色について研究を進めた.
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