研究概要 |
日本近代仏教史の研究は, 第二次大戦後四十年余の研究史上において, 神仏分離・〓仏毀釈の実態の究明や, 真宗教団の政教関係をめぐる諸問題の考察などについては比較的進展をみたとはいえ, 近代仏教史全体から捉えなおすとき, 新教団の形成と教学の近代的把握が始まる時期の基礎的な研究については, 殆ど着手されていないというのが実情である. そこで本研究は, 仏教復興の実態を明治十年代における仏教各宗派の「教会結社条例」の末派寺院への布達に始まる教会・結社運動に着目し, 特に曹洞扶宗会・諸宗派協同の結社などについて検討した. ところで結社運動には, 開明的啓蒙思潮に対応せんとする超宗派的な立場と, 幕藩体制以来の旧教団から脱却して, 新教団の形成を志向する立場とに大別される. まず前者を代表する結社運動としては, 大内青巒の代表で, 全国各地に支会をもつ和敬会が挙げられる. 通仏教主義を標榜する和敬会の影響は, 明治十年代から二十年代にかけて四十の道府県の各地に二百三十を数える仏教諸宗派協同の結社の結成をみている. ちなみに北陸仏道教会は, 富山・石川・福井・新潟の四県にわたる諸宗派協同の講社として最大の規模を誇っている. また明道教会は, 在家仏教者鳥尾得庵の発起に始まり, 東京本部を中心に京都・大阪・兵庫・滋賀・愛知・三重・神奈川・長野・秋田・青森の各府県に三十二の支社を数える. また後者の代表的な結社としては, 曹洞扶宗会の『洞上在家修証義』による教化法の樹立を目指す結社運動に窺われる. それは全国各地の千百十に及ぶ扶宗講社に支えられ, 地方の禅侶と信者との新たな結合関係の上に実現されたものとみられる. 六十二年度は, 調査で群馬県前橋市の橋林寺より『修証義』関係の宗議会資料を, また清光寺の襖の裏張りからは, 真宗教団の管理体制の強化に圧服され, 衰退の一途を辿った酬恩社関係の手書きの資料を入手した. 六十四年度は収集資料の集大成を試みる.
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