明治仏教における教会・結社設立ついては、昭和62年度、63年度の「研究実績の概要」で、すでに概観したところであるが、2箇年にわたる調査研究を通して、次のような点が明確にされた。 まず明治十年代に最盛期を迎える仏教各宗派ならびに諸宗派協同の教会・結社運動の実態究明については、第二次世界大戦後の近代仏教の研究史上において、維新期の神仏分離・廃仏毀釈をめぐる諸問題や、明治三十年代以降の近代仏教の形成期の思想活動などにみる華々しい研究課題の影に隠れて、ほとんど着目されていないというのが実情であった。 しかしながら実際は、廃仏毀釈後の仏教の復興、そして近代仏教の形成へと展開する明治仏教史の全体の流れに沿って、あらたな視点より教会、結社の問題を捉えなおすとき、布教者と民衆との新たな結合関係の上に展開された結社運動の占める位置と、その歴史的意義とは極めて大きいものがあったとされなければならない。 以上の観点から本研究で得た成果は、通仏教主義の立場から展開された信仰の結社「和敬会」と、結社運動に指導的役割を演じた大内青巒の教化思想の樹立について考察が試みられた。それは『洞上在家修証義』の例にもみるように曹洞扶宗会での思想活動に窺れるところである。またさらに着目されなければならない点としては、和敬会などの結社活動のもうひとつの目標が文明開化の進展とともに一層非宗教的、反宗教的性格をあらわにする、いわゆる士太夫、学者・書生などの中等以上の階層に属する開明期知識人への教化活動にみられる。 なお教会・結社運動が果した大きな役割としては、仏教各宗派の近代教学の確立をうながした点にみられる。この点については最近若干の学究者の注目を集めているところである。
|