研究概要 |
鋳造品に対し, 鍛造・彫金の作品で作者の知れるものは少ない. しかし, その職名に関しては鋳造品が常に鋳物師と名乗っているのに対し, 鍛造・彫金作品では銅細工, 銀細工, 飾師, 彫工, 舎利塔師, 銅工, 細工など様々な冠称が記される. 藤原明衡の『新猿楽記』には「鍛冶鋳物師扞銀金ノ細工」とみえ, 鍛冶(鉄の打物), 鋳物師とともに細工を行う工人の存在が窺えるが, 銅細工, 銀細工はまさにこの部類に属する工人であろう. 銅細工を名乗る工人による作品は保延五年(1139)銘の銅経筒(銅細工物部忠俊・大阪施福寺蔵)を最古に, 文永七年(1270)銘の舎利塔(銅細工末永入道成仏, 坂上末友・奈良西大寺), 康応元年(1389)の神輿(銅細工比気彦左衛門尉行久・栃木二荒山神社)などがあり, 平安時代から室町時代にわたって名乗られていたことが知られる. また飾師は鎖や簪など細緻な作品を専ら作り, その職名は江戸時代になって現われたとされているが, 応永二十一年(1414)銘の西大寺舎利塔に「七条坊門室町錺屋宮内大夫善徳」とみえ, 室町時代に遡ることが明らかとなった. とくに注目されるのは江戸時代の神輿金具は飾師の製作するところであるが, 二荒山神社の神輿では銅細工と名乗っていることであり, 飾師は銅細工の中から派生した工人と考えられる. さらにこの飾師の名称についてはこれに関連する工人として飾仏師がいる. 飾仏師は木造仏の瓔珞を製作する工人と考察されているが, 技法的には銅細工と共通するものであり, 仏所から離れ諸々の飾金具の製作に従事するのに伴って飾師と名乗るようになったと推察される.
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