一般に、大都市地域であればあるほど、家族や血縁ネットワークの社会統合的機能は、農村部や地方都市と比較して、弱まる傾向があることが指摘されてきた。その理由としてあげられるのは、大都市であるほど核家族化が進行し、また、手近に血縁者がいないことである。このイメージは、都市の新中間層の家族に、確かによくあてはまる。新中間層の家族にとっては血縁よりもむしろ「友縁」や「知縁」などのほうがより重要な意味をもっている場合が多いことも指摘されるようになっている。しかし、その状況に変化の兆があらわれていることも指摘しておかなければ片手落ちであろう。80年代の社会構造の変化とともに顕在化してきたのは、いわゆる「中流」家族の分化であった。所得格差の拡大、資産所有の有無などの諸要因により「中流」意識はもはや共同幻想であることが明確となっている。階層間の格差が開き、固定化する傾向は、今後定着するだろうと思われる。階層分化は家族をめぐる状況に変化をもたらす。上昇する階層-大都市に住む、専門職に従事する、若年高学歴、高所得の層-にとって家族はますますその重要性を減じる可能性がある。他方、下降する階層、あるいは取り残される階層にとって、家族や血縁ネットワークが生活防衛、「生き残り戦略」として再び意味をもつ状況が到来する可能性がある。日本経済の高いパフォーマンスに支えられている限りにおいて、下降する層とはいえ、生活水準は保証されるが、ひとたびリセッションに入れば、現在、豊かさを享受している都市新中間層も基盤がもろいだけに、生活危機に見舞われるかもしれない。実際、欧米においては、正規雇用外の様々な形態での収入が生活水準を維持せしめているという社会学者の指摘もある。高齢化の進行がその傾向を促進するかもしれない。特定の階層で家族がどれほどの重要性をもっているかは、中長期的に追求すべき問題であると思われる。
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