研究概要 |
知の資本論の系譜を社会思想史的に跡づけると次のようになる. 「科学的」知そのものが支配の根拠であるという認識は, すでに「社会実証主義」者にあった. たとえばベンサムは, 「服従は知にたいする知の威光が存在するところに存在すべきである. つまり人びとは, 知識をもつ人, とりわけ道徳と立法についての技術と科学をもつ人には服従しなければならない」と語っている. しかし, この知を「資本」としてとらえ, 知識人の支配の論拠として語ったのは, アナーキストたちであった. バクーニンにおいてはいまだ知は貨幣資本とのアナロジーとして比喩的に語られているにすぎないが, マハイスキーははっきりと「知識人の資本はかれらの知識にある」と論じている. この知の資本論の系譜はやがてラスウェル(「知識人の『資本』はかれの学識にある. かれは社会における安全, 収入, 尊敬をうるために, 土地所有者, 産業企業家, そして肉体労働者と競合していると考えられよう」), シュンペーター(「知識人とは語られた言葉, 書かれた言葉の権力をふるう人である」), ラーナー(「新しいイデアをもった新しい人」)へとひきつがれ, グールドナーにおいて「文化ブルジョアジー」という概念にまとめあげられる. 知が資本として社会的に機能するそのメカニズムについては, F・パーキン, R・コリンズ, R・マーフィー, P・ブルデューたちの「知の閉鎖理論Closure Theory」が有効な分析用具となるだろう. 63年度の研究過大のひとつが, この「閉鎖理論」の研究分析となるはずである.
|