昭和前期美術教育における教育方法理念を明らかにするために、昭和62年度と63年度にわたり科学研究費補助金を受けて、美術教育の教育方法理念、指導案、教材、児童作品を分析考察した。そこでこの研究で明からになった主要な点を次に述べたい。即ち、労作教育・作業教育の思想は進歩的な思想家たちによって主張され、昭和前期の美術教育の分野において実りを成すに至った。しかしこれらの思想は、国の教育政策な社会経済策の影響のもとに質的屈折を余儀なくされた。美術教育の過程における最も重要な条件は子ども自身の自己決定である。いかなる判断を行う場合も子どもたちの同意が必要なのである。国はその政治体制において、皇国民錬成教育の思想のもとに、子どもたち一人ひとりの感受性を、ある機構の歯車のように画一化してしまった。国民学校の芸能科図画工作教育は、「錬成」とか「行」とかいう方法によって行うことが示されたが、それは熱心な鍛錬や、苦痛を伴う鍛錬をすることを意味した。子どもたちは精神を集中し、同一課題によって繰り返し図画を描かされた。金原省吾は、「錬成」とは身心一如・霊肉一致の、体感を伴った鍛錬であると説明した。即ち「錬成」とは、意向が表現に移動する直前の一点に立って鍛錬することなのである。金原省吾は「錬整」が教育方法であるとともに、そういう教育方法を支える教育方法理念であると、説明した。この方法によって子どもたちの美的感受性は皇国民錬成の方向で類型化され、容易にその思想の影響のもとに、要求するものは先廻りして決められとしまうことになったのである。この教育方法は子どもの心理的要求と子どもたちの能力に答うるものにならなかった。以上のようにして「錬成」という教育方法理念は、最初に意図したものに到達することが出来なかったのである。今後、この研究は継続して進められ、その研究成果は福岡教育大学紀要に発表される予定である。
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