研究概要 |
1.ライヒヴァインの著作「創作する子供たち」の翻訳作業を進めることによって, かれの労作教育思想が, G.ケルシェンシュタイナーなどと比較してみた場合, より強い知性への期待が示されていることに気付いた. これは労働体験を訓育的効果と結びつけようとする当時の一般の傾向と著しく異なっている, とみなしてよい. この点をいっそう明確にしたい. 2.併せて, やはり彼の著作「学校における映画」を読んでみたが, ここでは, 視聴覚教育に対する彼の意見の明が示されており, 子供の受動的な理解よりも, 能動的な解釈を期待する彼の立場がよく示されている. 3.ハレ教育大学(アカデミー)における彼の実践については, 期間が短いため(在職の), 評価がむずかしい. ただし, C・H・ベッカーによるプロイセンの教員養成制度改革の方針に従って彼が行動していたことは当然であり, この改革方針の妥当性については, シュブランガーの教育養成論などと対比して, さらに検討を加える必要がある. 4.ライヒヴァインの日本における足跡については, 神戸, 横浜, 新潟等を調査してみたが, まったく手がかりをつかめなかった. 時間と費用を相当にかける覚悟がなくては, 不可能である. 5.反ナチ運動との関連については, E・クリークの教員養成改革への期待と関連されて, ナチ体制下における教員の位置や役割をあらためて検討する視点が重要であることに気付かされた. クリークは師範学校卒の学歴で学位をとり, 大学教授になり, ハイデルベルリの学長にもなったが, 大学レベルの教員養成という悲願がワイマール体制下でも実現しなかったことに, 強く失望している.
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