1985年9月に北海道大学で開催されたB.ピウスッキのロー管に関する国際シンポジウム(文部省科学研究補助金・綜合研究Aによる助成)に参画以降、ピウスッキ未発表資料の一部を引き続き研究対象としてきた。特に、ピウスッキのロー管資料の発見地であるポーランド・ポズナン市のアダム・ミッキェヴィチ大学との交流、なかでも上記ロー管の発見者である。J.バィンチェロクスキ教授(同大学言語学研究所長)との密接な連絡の下に、ポーランド語によるアイヌ関係未発表原稿の復元を行なうべく努力してきた。幸にも、本文部省の科学研究費補助金・一般研究Cの助成を受けると共に、北海道新聞社からの資金援助により同上バィンチェロフスキ教授の小樽商科大学への招聘が実現し、1987年10月より約6ヶ月間の同氏滞在期間中に復元作業は大巾に進展した。その成果の一部は『ピウスッキ草稿「アイヌの祈り」』として北海道大学北方文化研究施設の紀要「北方文化研究」に英文翻訳を付けて発表されることになっている(裏面参照)。一方、戦前の樺太庁立病院医師であった和田文治郎の樺太アイヌ関係未発表資料についても、本補助金の助成以前から整理復元を続けてきたが、1887年には『アイヌのお産-和田文治郎遺稿-』として国立民族学博物館報告(12巻2号)に、その第3部として発表した。引き続き、和田文治郎のアイヌの通過儀礼に関する遺稿の整理を行なっている現状である。なお、本研究期間中に、カトリック函館司教であったB.アレクサンデルの遺したアイヌ語で書かれた「カトリック要理(教義問答)」を入手した。きわめて貴重な資料であるため本研究の一環として研究を進めており、作業終了次第、国立民族学博物館報告に公表すべく準備を行なっている(裏面参照)。
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